01b172年の初来日以来、空港に3千人ものファンが駆けつけたほど、日本での人気は凄まじかった。本国イギリスではまったく反応がなく、クイーンの魅力をいち早く理解したのは日本のファンだったのだから驚きである。メディアの作戦もその要因ではあるが、その当時のミュージックライフはクイーンの記事がでないことはなかった。いまでいうジャニーズのタレントを売り出すような扱いで日本のティーンエイジャーを取込んでいった そしてその作戦は大当たり。

このキラークイーンは3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」からのシングルヒットで英国で2位、米国12位であった。名曲「ボヘミアン・ラプソディー」はこの一年後に生まれる。

ちなみに本国英国での人気が出始めた頃、日本におけるクイーンのファン層は徐々に変化を見せ始めた。バンドにおけるヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの存在が大きくなっていったのもその要因尾ひとつかの知れない。